宮本武蔵 (三)

武蔵の境涯

ひたすらに剣の道に生きた宮本武蔵はその生涯を通してどのような境涯へ至ったのだろうか。武蔵は自書「五輪書」のなかで「小の兵法」と「大の兵法」を書き分けている。これは一対一の勝負と多人数の合戦のことである。武蔵は江戸初期の軍学者北条氏長と交わり深く広義の兵法について学ぶところがあった。北条氏長は孫子の研究をしている師の門弟である。武蔵は前半生を小の兵法に終始したが後半生は大の兵法に打ち込もうとした。しかし時代は徳川の時代となり合戦により名をあげられる時代では無くなっていた。こうしたことから武蔵を戦国の出世を夢見て果たせなかった悲劇の出世主義者とみるむきもある。武蔵は遺言で自身の亡骸に甲冑を着せよと言ったことからも推察される。

武蔵が晩年に至り到達した人生観は、死の直前に書かれた独行道に現れている。武蔵が出世主義者かどうかは憶測の域を出ないが、それとは関係なく史上まれにみる剣の求道者であり、剣の精神でもって治世の道を探していた。以下独行道からいくつかを紹介する。
 
・道においては死をいとはずおもふ
・いづれの道にもわかれをかなしまず
・我、ことにおいて後悔せず
・仏神は貴し、仏神をたのまず
・常に兵法の道をはなれず
 
又、『五輪書』の最後、「空の巻」には武蔵のいう兵法の道について書きあらわしている。
 
「空とはきまった形がないこと。形を知ることができないものを空とみるのである。ものがあるところを知ってはじめて無いところを知ることができる。これがすなわち空である。(省略)まっすぐなところに則り、正しい心を道として、兵法の道を世にひろめ、正しく明らかに、大局をつかんで、一切の迷いが無くなった空こそが兵法の究極であり、兵法の道を朝鍛夕錬することによって空の境地に到達できるのである。」
 
これが二天一流の究極である「万理一空」の境地である。

霞山 記


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